院長・スタッフ紹介

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患者さんの生涯にわたって、
最後まで責任を持てる治療を提供していきたい。

日野市の歯医者 日野新町歯科医院では、従来の治療方法に固執せず、より患者さんの負担軽減・歯を残す治療を取り入れ、末永く生活の豊かさを維持できるよう、貢献していきたいと考えております。
地域の患者様のお口の中の健康を通して、よりよい生活を送って頂ける様、尽力して参ります。

院長紹介

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院長飯嶋 幸弘

患者様に安心して治療を受けてもらえる様、
わかりやすい言葉や表現を意識。

はじめまして、日野市の歯医者 日野新町歯科医院の院長、飯嶋幸弘です。
口腔内の健康維持は、全身疾患の予防の第一歩です。
生涯、より豊かな生活や食生活を送って頂けるよう、治療を通じ、できる限り貢献をしていきたいと考えています。
一度削った歯は元に戻ることはありません。できるだけ歯を削らない治療・負担が掛からない治療を心掛け、歯の寿命を維持できる様な治療を心がけております。

治療に入る前には、必ずどのような治療を行っていくのか、しっかりとご納得いただけるまで説明を行っていきます。
より理解して頂きやすい様、言葉や表現なども意識し、安心して通っていただけるよう、努めております。
何かわからないこと、不安に感じることがありましたら、お気軽にご相談下さい。

院長略歴

1999年 北海道医療大学歯学部卒業
1999年 ときわ歯科クリニック勤務
1999年~2004年 落合小児歯科勤務
2004年~2007年 ヤガサキ歯科勤務
2007年~2010年 永山センター歯科勤務
2010年 日野新町歯科医院開院
現在に至る

資格

  • AIAI(国際インプラント学会)認定医
  • カリソルブ・ペリソルブの認定医
  • AIAI(国際インプラント学会)会員
  • DGZI(ドイツインプラント学会)会員
  • 日本歯周病学会会員
  • 日本歯科審美学会会員
  • 抗加齢歯科医学研究会会員
  • 審美歯科BTA研究会会員
  • 国際歯周内科学研究会会員
  • プラトンインプラント ベーシックコース
    certificate取得
  • POI(近未来オステオインプラント)
    マスターコース certificate取得
  • CRCA
    (Clinical Reseach Conference Academy)
    歯周外科コースcertificate取得
  • 中野予防歯科研修会
    歯周外科コース certificate取得

セミナー修了書

生い立ち

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幼少・小学生の頃

私は東京都中野区で育ちました。父は歯科医師ではなく、会社の経営者でした。そんな父は、仕事が忙しく、あまり一緒に遊んでもらった記憶はありません。たまに、父の仕事場に連れていかれると、会社の社員さんに遊んでもらっていたのを、よく覚えています。小学校高学年になってくると、小さいながらも父にかまってもらいたいと思い、お店の手伝いをよくするようになっていました。

それでも、普段は塾に通い、友達と校庭や公園で野球やケイドロ(または、ドロケイともいいますね)で遊んでいるどこにでもいる活発な小学生でした。

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中学・高校時代

中学高校時代は、八王子の一貫校に通学していました。
友人が八王子の近辺に住んでいたこともあり、現在の開業地である日野にもよく遊びに通っていました。この頃から日野という土地には縁を感じていました。もちろん、この時には、まさか日野で開業をすることになるとは、全く思っていませんでした。

当時は、歴史にハマり、日本や中国の歴史を独学し、辞書のような分厚い歴史書を読むこともありました。元々の性格からして、気になることがあると、調べずにはいられない知識欲旺盛なところがあり、一度夢中になりだすと、自分が納得しきるまで凝ってしまう探求心が強い子供でした。歴史上の人々の考え方、生き方を知り、自分は人としてどうあるべきかを考えるような思春期を過ごしていました。この頃の夢は、将来は歴史に携わる仕事に就きたいと漠然と思っていました。

大学時代

大学については、中学・高校時代で思い描いていた自分の将来とは、別の道をたどります。それが、今につながる歯学部への道でした。キッカケは、父の強い勧めからでした。迷いましたが、父に将来の為とうながされ、北海道医療大学の歯学部へと進みます。

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知らない土地、初めての環境の中、色々な不安からのスタートでしたが、大学1年生の時は親元を初めて離れた開放感から、自由気ままに学生生活を謳歌していました。ただ、遊んでいたわけではなく、ここでも新しいものに興味を持ち、夢中になります。それが、躰道という空手のような一風変わった武道でした。元々、大学に進学したら、何か運動をはじめてみたいと考えていたのと、なんとなくカッコよさそうという、今考えれば安易なイメージだけで、躰道の部活に入部します。当然、大学の部活とはいえ、格闘技です。軽い気持ちで入った自分にとって、ここでの練習は、とてつもなくキツく、大変なものでした。先輩にしごかえる度に、何度もやめようと思いました。ただ、それでも昔からの探求心は薄れず、自分が納得できるまでは、辞めないと心に決め、毎日必死で取り組んでいました。

そして、気付けば3年生となり、部活を取り仕切る幹部という学年・立場までになっていました。その中でも、どうせ取り組むなら、最後まで取り仕切る立場で頑張ろうと考え、部長という立場に自ら手を上げ、挑戦することにしました。部長という立場で部活のメンバーを取りまとめた経験は、大きな失敗もありましたが、人をまとめる難しさについて、身をもって経験ができたこと、その中でも得た成功体験は、非常にかけがえのないものになっています。挑戦することの重要性について、学ぶことができました。

大学も5年生となり、人生の中での大きな転機を迎えます。それまで安定していたはずの父の事業が、バブル崩壊により、倒産となってしまったのです。私はまだ在学中だった為、学費が払えなくなり、最悪退学ということもありえました。また、日々の生活費に関しても、危機的状況だった為、私が働き手となり、家族を支えなくてはならないという状況も想定していました。ただ、本当にありがたいことに、たまたまご縁があった方から生活費・残りの学費を貸していただける方が現れ、その方に借金をすることで、無事に大学を卒業することができました。今の生活や歯科医師として開業できているのも、その方のおかげだと、今でも感謝しています。

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勤務医時代

大学を卒業してからは、勤務医として、色々な医院で経験を積ませていただきました。もちろん、借りていた借金を返していきながら、歯科医師としての技術研磨に懸命に励んでいました。そんな中、今の歯科医師として大事にしている考え方にいきつくまでのキッカケとなった経験をお話します。

ある医院で勤務医として務めていた時の患者さんの話です。その患者さんは、毎回懸命に治療をして改善までむかうのですが、一定期間がたつと、また悪化して治療のために通院を繰り返していました。その時は、「なぜ、また悪化してしまうのか?」「自分の技術が足りないのではないか?」など、悩みながら患者さんの治療に取り組むのですが、一時的に良くなっても、また悪化を繰り返し、一向に改善の傾向がみられませんでした。

そこで初めて、予防治療の重要性に気づきます。頑張って一時的に治療したとしても、その後も予防処置を継続的に行っていかないと、結局また悪化を繰り返してしまいます。治療をする前提ではなく、口腔内の環境悪化をそもそも防ぐ予防から取り組むことが重要であることに気が付いたのです。また、治療をするにあたっても、被せものや詰め物の材料や材質によって、治療の予後が変わっていくことも学びました。

また、予防という考え方以外でも、銀歯から白い歯に治すことで、患者さんがこれまで感じていたコンプレックスを解消したり、ホワイトニングをすることで、口の中を気にすることなく笑顔になることができるようになったと、嬉しいお声を頂いくこともできました。研修医時代のこういった経験は、歯科治療で提供できる価値の大きさに改めて、気付くことができ、今の私の考える歯科治療のベースになっています。

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開業

勤務医時代によく「もっと歯を大事にしておけばよかった」という患者さん声をよく聞いていました。同じ思いの患者さんをこれ以上増やさないよう、歯の大切さをもっと多くの方に理解していただきたい、そして患者さんの歯の健康を1日も長く維持できるようにしたいという思いから、日野市に日野新町歯科医院を開業しました。歯を喪失し、食事が不便になる患者さんそれぞれに合った歯を補う方法を研鑽。今では、様々な方法を駆使し、特殊な治療も含め、患者さんに一番合う治療を提案・選択いただいています。
これからも、スタッフから患者さんへ、患者さんからスタッフへとありがとうの溢れる医院を目指し、患者さんの健康のため、日々取り組んでいます。

『ありがとうがあふれる病院』
『説明をしっかり理解していただける病院』を目指します。